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「余命24時間と宣告されたら?」の裏に隠されたもうひとつの意味

もし、余命24時間と宣告されたら、あなたは何をしますか?



このような投げかけや、これを題材にした映画などに接触したことのある人は
意 外と多いのではないでしょうか。
このように投げかけられ、自分だったらどうするだろうか?と、このシチュエーションを思い浮かべてみるわけです。

「富士山にも登りたかったし、政治とかもやってみたかったなぁ。それから、世界中を旅して異国の人と色々話してみたかったし、世界の美食を味わっておくんだった。家族とももっと話しておくんだったな...」

と、あれもこれもと思い浮かんできますが、現実を見れば24時間しか残されていません。おそらく、その中でできることを見事に見極め実行に移していくのでしょう。「恩師や親友に挨拶し、家族と一緒に過ごそう。最後は肉と酒だ。」など。まぁベタベタな例ですが、百者百様ですね。

そこで私たちは本当に大切なものについて改めて考えさせられたり、何かしらの気づきを与えられるわけなのですが、「そうだよねぇ」と瞬間的に強く感じつつも、「じゃぁ何か行動に移そう!」とはなかなかなりません。何故なんでしょ?

余命24時間宣告が焦点を当てているのは「最後の24時間に何をするか」です。これが、なかなか自分の身に置き換えにくい原因のような気がしてなりません。現実離れしすぎているというか...
では、余命24時間宣告をうけて自分が最後に選択することはウソなのでしょうか? ...流石に、それはなさそうです。

私たちの多くは、おおむね寿命くらいまでは生きようと思っているわけです。これから数十年生きようとする人と1日だけしか生きられない人では、残されたの時間の長さが違います。つまり、前提が違うのですから次の24時間で何をするかという選択は異なってしかるべきだということになります。余命48時間だとすれば、選択する行動は24時間のケースと比べて変わるでしょう。余命1週間なら...余命1か月なら...
要するに、やりたいことを思い浮かべて、残された時間内にできることを選択しているわけです。

しかしながら、残り時間が無限にあるように感じられてしまう状況では、なかなかこういった感覚は浮かび上がってきません。結局、何をしたら良いのかもわからなくなりやすい。(この背景に、成熟した豊かな社会環境があることは確かなのですが、そこで生きていることはしかたがありません)



そのような状況下では、「明日の生」など大して意識されていないのです。だからこそ、区切る必要があるのかもしれません。例えば、24時間。例えば、1週間。例えば、1ヶ月。このくらいであれば残り時間を把握しやすいでしょう。もちろん余命24時間の場合と比較して、明日とる行動は異なってきますが、この先数十年生きるつもりであるなら当然であり、それで良いのだと思います。

重要なのは、余命24時間宣告をうけて思い浮かべることは、最終的に自分がそういう人生の結果を望んでいるということに他ならないということ。これは人生(時間)を圧縮した非常に濃い投げかけであって、24時間で実際に何をするかということよりも、自分自身で見ることができなかった本当の欲求を浮かび上がらせてくれるということの方に、焦点をあてるべきなのでは?というような気がします。

この投げかけは、本当に日々そう意識して過ごしているのか?何か行動に表しているのか?と自分を問いただし、何をやって何をやらないのかを選択するものさしにもなってくれるのかもしれません。余命数十年というボヤっとしたものを24時間に圧縮することで、自分の感覚を研ぎ澄まし、眠っている思いを露わにしてくれる。少なからず、その手伝いはしてくれるのではないでしょうか。

時間というものは、とかく意識しずらいものです。私も忘れがちです。ですから、1日の内1分でも、1週間の内1時間でも、1ヶ月の内1日でも良い。「余命24時間と宣告されたら?」の投げかけで露わになる自分の思いに、残された時間のいくらかを配分してみては如何でしょうか
それこそが、1日1日を後悔のないように生きることの真髄なのではないか。こんなことを考えてみたここ二日間でした。



ではまた。

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時間を生きる


時間は最大の資源」と良く言われますが、それは何故でしょうか?




ひとつには、増やすことができないからということがあげられるでしょう。有限だということです。お金は増やすことができますし、モノも増やすことができます。一度落ちた信頼や評判でも、誠心誠意、努力で取り戻せることもあります。

しかし時間はというと、絶対に増やすことはできないし、過ぎた時間は取り戻せません時間を取り戻すことにどれだけ情熱を注いでも、現在の科学技術では不可能です。それこそ時間の無駄だと思います。したがって、時間は最大の資源だと言われること、それをどう使うかを考えることは、ある意味自然なことだとも言えます。

なかなか自覚できないのは、目で捉えることもできなければ、味わうこともできない、なかなか実感しにくい奇妙な存在だからではないでしょうか。たとえ目に見える石油のような有限物質であっても、限りあることは分かっていながら、なかなかそういった危機感は感じにくい。あまりに当たり前に生活に溶け込んでいるというのもあるのかもしれません。

今でも石油の枯渇については叫ばれていますが、まだまだ個人にとってはお話の世界です。おそらく無くなる間際、あと残量がどれだけあるなどという情報が出てくるような段階になってから実感するのでしょう。時間が有限であることも、同じように死を意識するようになってから気づくのでしょうか。

「あぁ、、あのとき、●●していれば良かった」
後悔先に立たず。誰しも経験があると思います。


あなたにとって「命」とは?



心臓を刺されれば人は死にますが、この質問をされて心臓と答える人はまずいないでしょう。もし、物質と生物を区別するような生物学的な生命を思い浮かべた人は、この先を読みすすめても、ちっとも面白くないでしょう。

人生、一生、生涯、寿命、天に与えられしもの、かけがえのないもの、平等に与えられるもの?

では、あなたにとって「時間」とは?

表現の仕方は様々だと思います。しかし、ひとつだけ言えることは、時間が経過すればその分だけ、人は死に近づいていくということ。これは紛れもない真実であり、時が来れば、あなたの命も私の命も終焉を迎えるのです。

「命」をどう定義しようとそれはその人の自由ですが、それを超える自然の法則があることを忘れたくありません。
生きている間だけ、「時間」を味わえるのです。


なぜこんなことを書くかというと、私自身、つい最近まで長いこと時間に流されたまま生きてきました。うまくいかないことを周りのせいにし、環境のせいにし、他人を非難しては、自分がすべて正しいと思い込んでいたのです。一見、時間とは何の関係もなさそうですが、関係ありありです。

他人や環境のせいにし、自分をかえりみようとしないことはハッキリ言って時間の無駄です。自分以外に責任を押し付けて、自分は変わろうともせず、好転することを願っている。仮に望む方向に事が運んだとしても、それは運が良かっただけ。次もそういくとは限りません。

他人が振ったサイコロで6の目がでないときに、人は不満を感じます。手首のスナップが悪いとか、あのサイコロではダメだとか...
しかし、どれだけ不満を抱いても、次に6がでる確率をあげることに対して、自分は全く影響を及ぼせません。だったら、自分で振った方がいい。6の目が出なければ、1万分の1でも確率を上げる努力ができるのですから。1000回積み重ねれば、10分の1です。それに、サイコロはひとつではありません。
念のため断わっておきますが、「運」を否定しているわけではありません。人生に運は必要です。ただ、それだけではないということが言いたいのです。

私の認識が変わったのに、これというきっかけがあるわけではないのですが、強いて言うならば、運に任せていてはどうしようもできない環境に身を置いたことでしょうか。自らの思いとは裏腹に...
ですから、自分が変わるしかなかったのですね。今となっては感謝しています。まぁ、これは個人的な理由ですが(笑)


時間 認識 思考 行動



時間に対する認識が変われば、それに適った思考をするようになります。思考が変われば、それに適った行動を起こすようになります。その行動の積み重ねが、また認識を変えてくれるでしょう。そして、思考が洗練され、行動が洗練され、さらに世界を広げてくれるはずです。

認識」とは、その人が世の中をどのように捉えているのかという世界観であり、その世界観はそのままその人が生きている「世界」そのものです。知らないモノゴト、知らない宗教や思想、知らない方法は、その人の世界には存在しません。行ったことのない国は地図でしか知らないし、食べたことのないものの味など分からないのです。

もしかしたら、世界的金融危機はどこかの黒魔術師が気まぐれに起こしているのかもしれません。しかし、そう言われても私には信じられません...信じられるわけがないですよね?お話の世界では聞いたことあるけれども...という世界です。
だから理解できる範囲で理由を考え、答えを導き出します。黒魔術師が何をしようと、私の世界で黒魔術師が原因になることはないでしょう。その人の認識が、その人の世界なのです。

時間(命)を生きる世界は、時間に流される世界と比べれば、遥かに遠くの世界。もし、地図上に表すなら地球の裏側です。しかし、誰にでも行くことのできる世界でもあります。現にこんな平凡な私でも、近づけているわけですからね。優秀かそうでないかは問題ではないということだと思います。


お金よりも、その瞬間が大切になり、お金は手段だと理解できるはずです(持っていないと困るもっとも重要な手段であることは確かですが)。他人や環境を非難している暇はありません。その間も時間は過ぎ、あなたの命は削られているのです。命は削るものではありません。燃やしましょう。

時間をどう過ごすかで、命の価値は変わると信じています。私はスタートラインにたったばかり。まだまだ頂上には遠く及びませんが、信じて進んでいこうと決心しています。あなたのその灯は、周りの灯をも強く燃やすでしょう。そして、灯と灯が共鳴し、新たな灯が生まれることでしょう。



何だか、哲学チックで精神論チックな内容になってしまいましたが、このブログでは、もう少し現実的なことをのせていくつもりです。ここで述べてきた考えが軸であることに変わりはありませんが。
時間という概念を軸とし、認識や心理的な観点から、個人の生活に関わる様々なモノゴトを観察し、少しでも皆さんの役に立つ内容、研究にしていければ幸いです。

研究は大げさかな?(笑)


-----
2010.6.7
平沢 純一 

TAG :
時間
認識
思考
行動

自分に残された時間を知る



あなたにとって、時間は大切ですか?

突然の質問ですが、
聞くまでもなく、ほとんどの人が大切だと答えるでしょう。

生活する上で欠かせないお金について、
家計簿つけるなどして管理している人は多いと思います。
これは、お金をどれだけ何に使えるか(使ったか)を把握することです。

では、時間はどうでしょうか?
何にどれだけ時間を使えるのか。
それを、把握している人はどれほどいるでしょうか。



今回は、お金についての知識を時間という視点に置き換えてみたいと思います。


まず、自分の使えるお金を計算する場合、

収入から税金を引いて、可処分所得を計算します。
可処分所得から生活費などの出費しなければならない費用を差引くと、
自由になるお金が算出されます。

で、自由になるお金を実際に使ってみて、満足を買うわけです。
自由になるお金を何かに使うわけですが、
そこから得られる満足は実際に体感してみないと分からない部分がおおくあります。
つまり、自由になるお金がそのまま100%満足につながるわけではなく、
どれだけ満足につながるかという、お金の密度というものが隠れているのだと思います。

ではこれを、計算式にしてみましょう。

①収入-②税金=③可処分所得
③可処分所得-④出費しなければならない費用=⑤自由になるお金
⑤自由になるお金×⑥密度=⑦満足

こんな感じですね。


次に、時間に置き換えてみます。

与えられた時間から睡眠や食事など拘束される時間を引いて、
可処分時間を計算します。

可処分時間の中で、突発的なことに対する対応やだらだらしてしまう時間など
コントロールできない時間を差引くと、有効な時間が算出されます。

で、有効な時間を、やりたいことに使い満足を得るわけです。
ここでも、お金の場合と同じように、時間の密度というものが存在します。
どれだけ満足につながる時間を過ごせるか、ということですね。

①与えられた時間-②睡眠や食事など=③可処分時間
③可処分時間-④コントロールできない時間=⑤有効な時間
⑤有効な時間×⑥密度=⑦満足


といったところでしょうか。

これは少し深掘りできそうです。
次回につづけましょう。

ではでは。



TAG :
時間
お金

朝の1時間と夕方の1時間は、、違う!?

【今日の徒然草】
朝の1時間と夕方の1時間は、、違う!?


いままでは、あえて午後に単純作業をもってきていたが、
わたくしの場合は、どうやら午前中にもってきた方が、
性にあうのかもしれない。

と、ふと感じた。

これまで、一度決めた24時間のDayスケジュールを
ほぼ固定させちゃってたってことか。。。

時間は意識していたつもりだったけれど、
まだまだだったw

その人その人で、朝の1時間と夕方の1時間は、
違う性格の1時間
なんだなwと。

なんていうか、
個人差はもちろんあるんだけれど、

一人の人間の中で、
時間帯によって、得意なことと不得意なことがある。
そう思ったんだ。

なんとなく頭では分かっていたつもりだけれど、
実際は、それを意識して時間をつかえていなかった気がする。


朝は、創造的な仕事。
夕方は、単純作業。

という人もいれば、

朝は、単純作業。
夕方は、創造的な仕事。

というひともいる。

深夜過ぎに、頭が冴えまくるひとだって、
きっと、世の中にはいるはずだなんだ。

朝、創造的な仕事をするのが向いている人に、
午後、創造的な仕事をやらせたら、
成果は2分の1にも3分の1にもなってしまう。

逆に、朝、創造的な仕事ができれば、
午後やるのに比べて、成果は2倍にも3倍にもなる。


単位時間あたりの効率化ばかり考えていても
ダメってことですね。きっと。

「時間帯の使い方」も大切ってこと。

わたくしは、
より自分に適したDayスケジュールを組む工夫を怠っていたみたい(汗)

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dackback

Author:dackback
ニート→零細企業(中小零細向け管理部門支援)勤務のキャリア弱者、ノマド系フリーランス目指して邁進中。
ファイナンシャル・プランナー(CFP)/個人投資家/器用貧乏(笑)/

時間やお金は私のエネルギー。そのエネルギーをもとに、どういうスタンスで時を過ごすのか。どんな術(すべ)をもって生き抜いていくのか。それこそストーリー。そして結果が生まれる。
まずは納得してその時間を過ごすことが味気ある人生への第一歩。

■エネルギー■
時間・心と体の健康・お金・人とのつながり

■スタンス■
いま・主体的・感覚・味気・シンプル・バランス・継続・クリエイティブ・スマート・サプライズ・チャレンジ

■術(すべ)■
3フェーズ[集めて→まとめて→送り出す]これに一役買うものには興味津々・コミュニケーション(聴く・読む・記憶する・考える・話す・書く)・知的生産・整理整頓・心理・戦略・Branding・デザイン・Webサービス(主にEvernote・Toodledo・Gmail・SugarSync)・ツール(主にiPhone・PC)・読書・英語・フリーランス・ノマド・Sax・Piano・お酒・映画・音楽・Scalett Johansson・佐藤可士和・サッカー・池袋・ポーカー・麻雀・三国志・紫

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